「夜景」

あの浮浪人の寝様ときたら

まるで地球に抱きついてゐるかのやうだとおもつたら

僕の足首が痛み出した

みると、地球がぶらさがつてゐる

                      (山之口貘)






新しい天使(アンゲルス・ノーヴス)と題されたクレーの絵がある。
それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見つめている何かから、今まさに遠ざかろうとしているかに見える。
その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。
歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。
彼は顔を過去の方に向けている。
…私たちの目には出来事の連鎖が立ち現われてくるところに、彼はただひとつ、破局(カタストロフ)だけを見るのだ。
その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。
きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。
ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。
この嵐が彼を、背を向けている未来の方へと引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。
私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。

<歴史の概念について>W.Benjamin(浅井健一郎・訳)





『新しい天使』の題名は、「自由を求めて、ついにピレネー山脈を越え得なかったW.Benjaminに由来」していると言う。「月にいちばん近い丘」とは、「光州」で闘い倒れたひとびとがいまも眠る「望月洞」を想起させる。


ベンヤミンは若い頃、『新しい天使』というタイトルの雑誌の刊行を計画していたという。結局は実現しなかったのだが、彼の書いた予告に、こんな一節がある。



「天使は毎瞬に新しく無数のむれをなして創出され、神のまえで讃歌をうたいおえると、存在をやめて、無のなかへ溶けこんでいく。そのようなアクチュアリティーこそが唯一の真実なものなのであり、この雑誌がそれをおびていることを、その名が意味してほしいと思う」
(ベンヤミン著作集13『新しい天使』晶文社)



天使には沢山の種類があり、永遠の昔から生きつづけている天使は、ミカエルやガブリエルといった大天使だけである。
その“役割”を果たすとすぐに消滅してしまう無数の“新しい天使”が神に創造される。
中には合唱の一曲を歌い終わると、無に還る天使もいる。
しかしその新しい天使たちは、思いを込めて命の限り賛歌を歌うと、精一杯輝いたという至福に満ちて消滅していく。
彼らの「生命の全う」は、何と“人”に似ていることか。


エンジェル(angel)はギリシャ語のアンゲロス(angelos)に由来しており、それは「伝令者」を意味する。


常に新しい天使は生まれ、何かを伝えようとするだろう。


                文責:谷瀬未紀(pikaluck)




脚本『新しい天使』は、東京のテント劇団独火星の池内文平氏による、1980年の光州事件の記憶をモチーフにした作品。
それは2005年夏にまさに「その地」光州で上演するために書き下ろされた。

上演は「マダンの光」という協働名で行われ、主なメンバーは、80年代に日韓連帯運動の場で隊伍をともにしたテント劇団「風の旅団」の流を汲む「野戦の月・海筆子」と「独火星・呼応計画」で活動する者たちであった。

「マダン」とは、韓国語で「広場」を指す。

それは人々が集まるところ
祭りがあり、歌と踊りのあるところ
笑いのあるところ
物語が分かち合われるところ
「闘い」の火が燃え始めるところ━━━


光州事件」。民主化を求めて立ち上がった市民、学生、労働者たちに容赦なく襲いかかった韓国軍空挺部隊(特殊部隊)によって、多くのいのちが奪われた事件。犠牲者の数は数千人とも言われ、大勢の人が「行方不明」になったままである。

『新しい天使』では、アジアの現代史の最暗部に属するこの事件の記憶と、現代に生きる者たちが出会い、対話し、交信する。

 死臭を身にまとい、捨てられた時間、埋められた記憶を
 ひとつひとつ拾い集める男。

 怒りと闘いを身に帯びて都市を駆け抜ける若者

 あの日殺された死体のコトバと踊りが混線し、軋む女。

 月下に“踊り”を盗まれたホームレス。

 悲しみの歌と共に、世界の流血を叫び知らせる女。

 最初に出会った誰かに「大切なもの」を手渡そうとする、
 そこにはいなかった、男。

 その場所にたどり着いた者たちを互いに、観客を物語に、
 そして過去を未来に結びつける夜の女王。

が、それだけではない。
60数年前に日本に連行されたまま帰ることの無かった人々。
チリのクーデターと16年に渡る軍事政権。
スペインで36年間続いたフランコ政権下、マドリードの路上で失われた命たち。
加えて広島で生活している「アリノネ」は、自身が取り組むことで「被爆地ヒロシマ」というテーマもこの作品に響き合わせる。

アリノネ初演で使われた映像は、メンバーでもある写真家・上杉知弘が毎年訪ねるボスニアで収めてきたものだ。戦乱の中でも子を育て、働き、微笑みあう「生活」を営む人々の顔だ。

人の、世界の哀しみと希望の物語。

それらと時空を超えて出会うこと、それがきっと歴史を知ること、なのだろう。
それは他人の瞳孔を通じて世界を見ることであり、誰かの嗚咽や叫びを通じて世界そのもの歌に出会うこと。
そして傷の痛みに満ちた過去や、希望の夜明けの未来から現在を見ることなのだ。

それは簡単ではないだろう。

しかし、天使が力を貸してくれるはずだ。


『新しい天使』のテーマは重く哀しい。
でも不思議な静けさ、透明感がある。
明るさ、強さ、ユーモアがある。

脚本も、芝居も、歌も踊りも、音楽も、映像も、“生きている”。
それが『新しい天使 〜月にいちばん近い丘まで〜』。



       2006年5月18日 「新しい天使」北九州制作団




 ■「新しい天使」にまつわる話