脚本『新しい天使』は、東京のテント劇団独火星の池内文平氏による、1980年の光州事件の記憶をモチーフにした作品。
それは2005年夏にまさに「その地」光州で上演するために書き下ろされた。
上演は「マダンの光」という協働名で行われ、主なメンバーは、80年代に日韓連帯運動の場で隊伍をともにしたテント劇団「風の旅団」の流を汲む「野戦の月・海筆子」と「独火星・呼応計画」で活動する者たちであった。
「マダン」とは、韓国語で「広場」を指す。
それは人々が集まるところ
祭りがあり、歌と踊りのあるところ
笑いのあるところ
物語が分かち合われるところ
「闘い」の火が燃え始めるところ━━━
「
光州事件」。民主化を求めて立ち上がった市民、学生、労働者たちに容赦なく襲いかかった韓国軍空挺部隊(特殊部隊)によって、多くのいのちが奪われた事件。
犠牲者の数は数千人とも言われ、大勢の人が「行方不明」になったままである。
『新しい天使』では、アジアの現代史の最暗部に属するこの事件の記憶と、現代に生きる者たちが出会い、対話し、交信する。
死臭を身にまとい、捨てられた時間、埋められた記憶を
ひとつひとつ拾い集める男。
怒りと闘いを身に帯びて都市を駆け抜ける若者
あの日殺された死体のコトバと踊りが混線し、軋む女。
月下に“踊り”を盗まれたホームレス。
悲しみの歌と共に、世界の流血を叫び知らせる女。
最初に出会った誰かに「大切なもの」を手渡そうとする、
そこにはいなかった、男。
その場所にたどり着いた者たちを互いに、観客を物語に、
そして過去を未来に結びつける夜の女王。
が、それだけではない。
60数年前に日本に連行されたまま帰ることの無かった人々。
チリのクーデターと16年に渡る軍事政権。
スペインで36年間続いたフランコ政権下、マドリードの路上で失われた命たち。
加えて広島で生活している「アリノネ」は、自身が取り組むことで「被爆地ヒロシマ」というテーマもこの作品に響き合わせる。
アリノネ初演で使われた映像は、メンバーでもある写真家・上杉知弘が毎年訪ねるボスニアで収めてきたものだ。戦乱の中でも子を育て、働き、微笑みあう「生活」を営む人々の顔だ。
人の、世界の哀しみと希望の物語。
それらと時空を超えて出会うこと、それがきっと歴史を知ること、なのだろう。
それは他人の瞳孔を通じて世界を見ることであり、誰かの嗚咽や叫びを通じて世界そのもの歌に出会うこと。
そして傷の痛みに満ちた過去や、希望の夜明けの未来から現在を見ることなのだ。
それは簡単ではないだろう。
しかし、天使が力を貸してくれるはずだ。
『新しい天使』のテーマは重く哀しい。
でも不思議な静けさ、透明感がある。
明るさ、強さ、ユーモアがある。
脚本も、芝居も、歌も踊りも、音楽も、映像も、“生きている”。
それが『新しい天使 〜月にいちばん近い丘まで〜』。
2006年5月18日 「新しい天使」北九州制作団