要望の声2

びっくりです!ESTA、絶対続けてほしいです。
思えば・・・大学生の時、ESTAで舞台の魅力のとりこになりました!
憧れだったESTAで公演をやった時は感動でしたね。
北九州演劇界の「聖地」ですから。
ESTAがなかったら舞台をやってなかったでしょうね。
なくさないでほしいです。
                        ザ・ニュースペーパー 福本ヒデ

スミックスホールESTAの魅力、そして、その存在意義


今から22年前、1986年に「劇団夢の工場」として活動を始めた頃、“演劇公演を打つ”というのは多くの場合“劇場空間を作る”という作業を含んでいました。舞台装置を組むとかそういうレベルの話ではありません。文字通り“劇場”を作るのです。当時我々が作品発表の場として望んでいたのは観客席が100席〜120席程度の舞台部と客席部が密な関係を持てる空間。市民会館では広すぎました。結果、普段はダンススタジオとして使われていたり、展示や物置に使われているような空間に仮設の足場を組み、暗幕を張り巡らし、照明・音響機材を持ち込んでそこを「劇場」に変える事でやっと公演を打つことができていました。楽しい作業ではありましたが、建物の構造や立地環境の関係で様々な制約があり、作品の内容や完成度に影響する事もあったのも事実です。

 そんな状況の中、1992年のスミックスホールESTAの開館は、「夢の工場」(そしておそらく同じ規模の演劇的空間を望んでいた複数の劇団)にとって“福音”でした。ただし、それは、設備や環境が充実していた事以上に、ホールスタッフすべてが我々の活動に深い理解を示し、作品世界の立体化を積極的に支援してくれた事にあると思います。
「こけら落し企画」で公演を打たせていただくという有難い機会をいただいた際に、我々が持ち込んだのが “2劇団昼夜入れ替わり公演”という企画。普通なら、仕込み代えの大変さなども考えて劇団側にもある程度の制約をかけるような企画であるにもかかわらず、ホールのテクニカルスタッフ総出で、「共に作品を創る」という姿勢でサポートしてくれたのが非常に印象的でした。ここなら新しい事ができる、と北九州で演劇を続けていく決意を新たにした事も覚えています。また、劇場内で料理を作って食べながら芝居を進行させていくという夢の工場独自の“食芝居”もホール側の理解と協力がなければ生まれなかったでしょう。
むろん、昨今「劇場とは単に空間を貸すだけでなく、そこで行われる作品をサポートしていくソフトの部分も含んだ存在である」という理念の下に、同様の関わりを心がけている劇場も今では全国的に多く見られます。ならば、スミックスホールESTAはその理念を実現した草分け的劇場と胸を張っていいでしょう。そのホスピタリティは、ホール使用のシステムにも現れています。『一週間使用パック』という使用区分のおかげで、それまでの“予算の都合で金曜日に急いで仕込んで、土・日曜日に本番”という状況から、じっくりと空間を作り上げて、その空間の中でリハーサルをし、本番を踏むという事ができるようになり、作品のグレードも飛躍的にあがりました。『稽古場使用』のおかげで、専用の稽古場を持たない多くの劇団が本番と同じ広さの空間で稽古ができるようになりました。柔軟な『使用時間』設定で、午後からの使用なら最大24:00まで使用が出来る場合もあり、割高な深夜料金も要求されません。昼間の仕事を終わって稽古にかけつけてくる団員を多く抱えた地元劇団がいかに助かった事でしょう。これらすべてが、北九州の演劇の質を大きく引き上げたといっても過言ではありません。そう、ESTAの魅力とは、そこが単なる「箱」なのではなく、何かを生み出す「場」であるということです。私は北九州にそういった「場」がある事を誇りに思っていますし、そういった「場」を与えてくださった住友金属様に深く感謝しています。

 あれから16年、北九州の演劇状況は大きく変化しました。「北九州を演劇の街に」をスローガンとして北九州演劇祭が始まり、北九州芸術劇場が出来ました。では、スミックスホールESTAの役割は終わったのでしょうか。
否。
単なるノスタルジーで言っているのではありません。今ESTAが閉館されるという事は、北九州の演劇状況が22年前に逆戻りする事に近いという危機感を抱いているのは私だけではないはずです。同規模のホールである「ラフォーレミュージアム小倉」はラフォーレの撤退と共に動いておらず、「井筒屋パステルホール」もなかなか演劇の公演場所としては定着せず、北九州芸術劇場の小劇場は自主事業が目白押しで一般使用できる日程がかなり限られています。確かにESTAの音響や照明設備を含む施設の劣化は近年激しくなってきており、相応のメンテナンスが必要な状況であったのは事実です。しかし、北九州にはまだまだ「場」としてのESTAを必要としているアーティストがたくさんいます。公共ホールである北九州芸術劇場が宿命的に担えない部分をESTAならば担っていけると思うのです。芸術劇場とは全く違うスタンスで、北九州の演劇を、パフォーミングアーツを支える存在としてESTAは非常に貴重な存在なのです。
 
16年間という長きにわたって、スミックスホールESTAという「場」を通じて北九州の演劇・パフォーミングアーツの振興に力を注いでくださった事に対する感謝と共に、心からお願いいたします。我々にもう少し、本当の意味で「北九州を演劇の街に」、文化の香る街にするための「場」を残しておいていただけないでしょうか。
もちろん、 “残してください”では単なる甘えである事も自覚しております。この“事件”にあたって、単にホールを借りて自分の表現を追及するだけでなく、もっと積極的・能動的にESTAという「場」をどう使うかを考えなければならないのだという思いを強くしています。こういった動きもまた、全国的に珍しい、新しい事ではないでしょうか。そしてそれがまた、ESTAが北九州において特別な存在であるという証拠の一つであると私は考えます。

そう、スミックスホールESTAの役割はまだ終わっていないのです。

                        劇団夢の工場 座長 大塚恵美子


 住友金属は、北九州の文化に素晴らしく影響のある場所を作った。それは、スミックスホールESTAという多目的なホールである。北九州の商業の中心地であるJR小倉駅周辺から、徒歩5分と言う立地の良さ。加えて、ホール前に広い駐車場の敷地がある。ここで、市内の劇団、音楽のバンドやダンスチームなど、様々なジャンルのグループが、自分たちの表現を育てて来た。また、そうして育った多くのアーティストたちが、北九州の文化・芸術シーンを支え、盛り上げている。
 他の都市と同様、今や北九州にも公共の芸術劇場があり、その他にも発表の場としてのホールは幾つもあるが、芸術家たちの成長を支える拠り所として、市民たちから確かな実績を認められている場所は、それほど多くはない。地域において芸術文化の底力が成育され発展して行く上で、こうした充実度の高い拠点は、公共の発表の場としての芸術劇場が、一定の成果を示し始めるずっと以前から、常に重要なものであったし、むしろこれからの発展の段階においてこそ、その特性はさらに不可欠なものとなる。
 ESTAの優れている点を具体的に挙げれば、枚挙にいとまがない。
 多くの市民が移動に乗用車を必要とする都市において、これほどの駐車場を保持している点。観劇には常にチケット代の負担が伴うが、町の中心部であるほど、そこに駐車場代が加算されてしまう。そのことが、人々の足を劇場へ向きにくくさせるという現実があるのだ。ESTAには、その心配がない。
 また、様々な形態にステージや客席をレイアウトできる空間は、多くの芸術家たちに更なる創意工夫をもたらしたし、そしてそれを受容するだけの充実した設備や柔軟さを、ESTAは兼ね備えている。
 市内劇団が使いやすい料金体系と運営システムは、多くの芸術家たちに等しくチャンスを与えて来た。そして、特筆すべきは、スタッフの専門的技術力と暖かい対応だ。この充実したソフトウェアが、ESTAの芸術拠点としての許容量を大きくしているのは疑いない。私は、ヨーロッパの劇場で演出家・俳優として働き、日本にやって来た。立派な設備が整っているホールはたくさんあるが、私が経験から本来そうあるべきだと認識しイメージする、「生きた劇場」はとても少ない。東京で働きながら幾つもの劇場を見て来たが、ここでもそんな「劇場」を見つけるのはそれほど容易ではない。北九州という都市が、それを持っている価値は、経済的効果だけではかりきれるものではない。
 決して大げさではないと思うが、北九州の(近隣地域、福岡や熊本なども含め)貴重な文化施設を、簡単に諦めるべきではない。例えば、ドイツ人は古い建物をとても大事にする。壊して建て直すよりも、修復し蘇らせる(その方が手間がかかっても!)。そうすることで、歴史は蓄積され、住民の地域への愛着が育まれ、文化は次の世代に引き継がれて行く。
 経済と文化が、常に微妙なバランスをとる事は知っている。しかし今、北九州がスミックスホールESTAを失う事は、この地域の文化振興にとって、大きな損失だ。住友金属にお願いしたい。北九州の人々が愛し、文化拠点となっているかけがえのない場所を、どうか残していただきたい。それが、このホールを建てた責任を果たすという事であり、また、その事に大きな誇りを持つべきである。その価値を認め、正しい選択をしてくださることを、北九州の芸術家として切望する。

                        うずめ劇場代表 ペーター・ゲスナー
          (せんがわ劇場芸術監督・桐朋学園芸術短期大学演劇専攻科准教授)

 ESTAの運営継続を切望します。
 <表現>は文化ですから、それをつくり出すのは、ひと、つまり人間である、というのは当たり前のことですが、実は、本当にそれをつくり上げるのは<場>をおいてほかにない、というのがぼくらの基本的な考えです。
 <場>は、具体的にいえば、面積や容積をもった平面や空間のことですが、単にそれだけならば、それは<場所>であって<場>ではありえません。<場>は、さまざまな想像力が行き交い、積み重なることによって、<場所>から<所>という所有概念や一所性を取り払い、誰にでも開かれ、そして誰にでも挑みかかるような<表現>そのものとなる
のです。
 そう、いまのESTAは<表現>そのものなのです。
いつの時代でも<表現>を小さく固まらせてしまうのは、人間だけが表現主体であるという傲岸な考えとその手つきです。
 小倉から遠く離れた関東地区にいてもESTAの小さなふるえは伝わってきます。どうか生きた<表現>そのものであるESTAを人間の都合だけでなくさないでください。このふるえを、どうか北九州の鼓動へとつなげてください。
                      池内文平(劇団・独火星/「山谷」制作上映委員会)

スミックスホールESTA閉館の報を聞いて

これは劇団としての嘆願書ではありますが、まずは個人的な話をさせてください。
私は北九州大学に在学していた20年前、いわゆる学生演劇をサークル活動として行っていました。その頃は北九州市内に演劇公演をやれる都合の良い会場が無く、様々なスペースを常に探し回っていました。そして、会場探しに奔走する4年間の大学生活は終わり、就職して北九州を離れることになりました。
その頃です。「スミックスホールESTAというホールが出来るらしい」という話を聞いたのは。自分が北九州を離れたとたんにそんな会場が出来るなんて!もしあの時、ESTAがあったら自分は北九州を離れることも無かったのに、と悔しい思いをしたものです。
そんな中、北九州演劇祭という演劇のお祭りが始まりました。ESTAのオープンと演劇祭のスタートによって、自分の気持ちは「北九州に戻って、演劇活動を再開するのだ」と決まりました。北九州に戻ってきたからは北九州演劇祭及びESTAが活動の中心となりました。岸田國士戯曲賞の最終選考にまで残った『IRON(アイアン)』という作品はESTAが初演でした。飛ぶ劇場および泊篤志はESTAに育ててもらったと言っても過言ではありません。
私が東京からUターンした様に、ウチの劇団員の何人かは東京からのUターン者が居ますし、ESTAがあったからこそ他所の地域に出ていかなかった者も居ることでしょう。1つの民間ホールがこういった社会的な意義を持つことは、“実際にあった”ことですし、これからも起こりうることだと思うのです。
5年前より北九州芸術劇場がオープンしましたが、公共ホールには無い民間ホールならではの機動力や柔軟性ではESTAが何枚も上手です。北九州芸術劇場では公演を打てない様な若手劇団の公演の受入れ先としても、まだまだESTAの存在価値は大きいのだと思います。
これからもESTAが小倉の街に有り続け、北九州の演劇文化の一助となっていただければと切に願うところであります。

                        飛ぶ劇場 代表 泊篤志

この街に長いこと暮らしていながら、ちょっと前まで、このホールの存在を知りませんでした。
演劇を観るようになって、何度か足を運びました。
許斐町という、北九州市民の多くは、その名を知らないと思われる町に佇む建物からは、なんとなくハードボイルド的な匂いがして、密やかな宴が人知れず行われているような、そんな雰囲気を感じました。
駅を降り、歓楽街を抜け、高架下をくぐるという道順が好きでした。
捨てがたき場所にある、捨てがたきホールなので、存続希望!

                        ∠R

私のESTA。
この言葉に尽きるスミックスホールへの私の思いです。
このホールが孕んでいる神秘性と大らかさは、小刻みにやって来る不安感と武者震いをなだめ、すぐそこにある未来≠ヨと私たちを誘ってくれます。
ホールスタッフ達の温かさと悪戯心。客席エリアで製作作業が出来るという珍しさ。貧しい財布を助ける自炊許可。
古い平台や箱馬をくっつけたり重ねたり、ドリルの音や煙立つおがくずにむせたりしながら私たちは、もうすぐ未来≠ェやって来ていることが分かるのです。
本当に沢山の芝居をESTAで作って来ました。観客と一緒に時間を過ごし、失敗に泣き、手応えに力を得て、一旦過去となった未来≠ノ「またね」と別れて。
私たちはうっかり、ESTAも有限の物である、ということを忘れていました。そう、有機物も無機物もいつかは滅びます。仕方のない事。
でも、その命を長らえることは出来るのです。意志、知恵、技術。
住友金属様、今まで本当にありがとうございます。貴社はこの北九州市はもとより、他県や国外の芸術文化を数多く育んできて下さいました。
スミックスホールESTAは正に文化の泉の一つです。
ESTAにあるのは、かつてみなが等しく抱かれていた母体の匂いです。
どうぞ、ESTAという私たちの母の命をもう少し長らえさせてください。

                        演劇作業室紅生姜 俳優 山口恭子

舞台人にとって劇場に対する思いは特別なものがあります。
舞台作品を表現する唯の場所ではありません。
表現の場として、その設備や内装、佇まい、スタッフの対応等々、どの要素をとってもそれは表現に反映されます。
しかも作品を表現したその場所は、それを作り上げた側にも、お客さんとしてその場にいた人にも特別な記憶として心に残ります。
舞台人にとってのその場所は唯の場所ではなく愛着のある特別な場所になるのです。
北九州にESTAができてそれを訪れた時、わたしは「この土地がお芝居のできる町になった。」と感じてとても嬉しかったことを覚えています。
そしてそのESTAで、わたしの所属する劇団のお芝居に初めて350人を超えるお客さんが来てくれた時のこともはっきりと覚えています。
演劇の街北九州のはじめの一歩はESTAから始まったのではないでしょうか。
以来わたしは何度もESTAの舞台に立ちました。
今、演劇からダンスへと表現のジャンルは変化しましたが、同じこの場所でまた作品を立ち上げようとしています。
わたしたちにとって特別なこの場所でこれからももっと多くの作品を作り、出会えることを願っています。

                        horamiriダンス研究所 つかのみき

私が演劇に出会った十数年前、ESTAはすでに北九州演劇の顔でした。
理由を考える事もなく、すでにそうだったのです。
しかし、ESTA以外で公演を行う事になった時、その理由を強く実感しました。
演劇の空間を作り出す「場(箱)」・ホールスタッフの方との連携が如何に重要か、そしてスタッフの方々が持つ情熱が如何にありがたいかを、ESTA以外の公演場所で実感したのです。更に重ねて上げるなら「立地環境の良さ」でしょう。小倉駅から歩いて程無い場所に位置し、しかも無料の駐車場がある!!こんな所、北九州のどこにも無いのではないでしょうか(北九州芸術劇場だって、駐車料金はかかります)。
全て含めて「自分達はなんて良い環境の下で公演を行っていたのだろう…」と、何度噛み締めたか分かりません。
確かに施設の老朽化は否めませんが、「もう古いもんね」と言いながら笑いつつ仕込みを進める。そんな風景も私は見てきました。
「古い」という事すら愛嬌でしかないほどESTAは劇団の方々に馴染んでいたのです。
ここ数年、私自身は演劇製作からは遠のいた生活を送っています。
しかし、時に手伝いに行き、時に観劇をしに行き…とESTAへ足を運ばない年はありません。
つまり、今でもESTAは北九州演劇の中心であると思うのです。
その中心であるESTAを失うと言う事はこれからの北九州演劇の発展へも大きく関わると思います。なんて大きな事は個人では断言できませんが、観劇者として、これだけは言えます。
ESTAが無くなると北九州の劇団の公演数は確実に減ります。
それだけ大きな存在なんです。
そんなESTAを、どうか無くさないで下さい。

                             山縣陽子

エスタという劇場は、北九州演劇の胎盤であったと振り返る

演劇人は、みんなそこで産んでいただいたと言っても過言ではない

だからぼくらは今、母を失うような悲しみと孤独を感じている

                        のこされ劇場≡主宰・演出家/市原幹也


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