要望の声3 |
僕にとって、「北九州」と「演劇」の複合検索で最初にヒットするのがESTAです。 ここで1999年に初演した『王女メデイア』は、その後ク・ナウカ シアターカンパニーの代表作として世界各国に招聘され、ク・ナウカへの評価を確定させました。 もしも『メデイア』というレパートリーがなかったら、こんにちの僕はありません。 もしもあのときスミックスホールESTAがなかったら、あの『メデイア』も生まれず、僕は、ク・ナウカは、いまごろ・・・想像するだに恐ろしいですね。 僕は1歳半から2歳半までの1年間、父の転勤で、小倉に住みました。演劇を始めてから、その幼少期の体験が残したものがいかに巨大かを痛感しました。つまり小倉に住まなかったらその後演劇をやらなかったかも知れないということです。 そしてスミックスホールESTAでの『メデイア』が僕の人生に第2の決定的影響を及ぼしました。 小倉がなくなってほしくないのと同じくらい、スミックスホールESTAもこの世に残ってほしいと思います。 宮城 聰(演出家) (財)静岡県舞台芸術センター芸術総監督 NPO法人ク・ナウカ シアターカンパニー理事長 |
サラエボの人たちは戦時中、街を取り囲まれ、過酷な状況下砲撃にさらされながらも 表現活動をし、街の人たちはそれを支え、楽しんでいました 明日、自分の身に何が起こるかも解らないのに 『場』『表現』は尊いモノです 2006年の芝居『新しい天使』の時に舞台監督、映像担当として初めて『ESTA』と逢いました スタッフの完璧なサポートのおかげで無事やり抜く事が出来ました、最高の場所だと思いました 継続には難しい問題もあると思いますが、 今まで企業『住友金属』として北九州文化を育くみ人を育ててきた実績を失わない判断を切望いたしいます もう一踏ん張りを心からお願いいたします 上杉 知弘(映像作家) |
ESTAは、20年前に北九州を出て、東京で細々と演劇活動を続けている私にとって、憧れの場所です。 私が北九州で芝居をしていた二十数年前、「北九州は文化不毛の地」と言われていた憶えがあります。 十年ほど前だったか、知人の公演を観るため初めてESTAを訪れたとき、ああ、もはやここは文化不毛の地などではないのではないかと、羨望の想いを抱きました。 以来、海の間近にそびえたつESTAはその風景とともに、帰省のたびに良質な観劇体験のできる大事な場所になりました。 その場を支えていらっしゃる皆様のご苦労は様々あるかと思いますが、貴重な場所ですということ・無くなってしまうのはとても残念だと思っていますということをお伝えできたらとメールさせていただきました。 釘本 光(HOTSKY 劇作家) |
物はいつかは廃れ最後に残るのは山河だけなのかも知れません。 それでも 無くなる意味、存在した意義をハッキリと認識したい。 今ここに存在しているハズの自分の、存在意味と同じくらい。 浦川雅充(劇団ひまわり名古屋アクターズスクール) |
スミックスホール・エスタにはこれまで何度も公演等でお世話になってきました。 とくに芝居ユニット・アリノネによる演劇公演「新しい天使 月にいちばん近い丘まで」や、前衛ジャズロック管弦楽団「呆けすとら」による「歌舞音曲スペクタクルショウ」など、他の会場ではできなかったスタイルでの公演を実現できたことは、スミックスホールエスタあればこそだと思っています。 さまざまな表現に対して開かれているということ、場としての自由さが最大限に確保されているということ。それが他のホールにはないエスタの何よりもの魅力です。 表現者として、こうしたホールの存在は、新しい表現を生み出す際の力強い後押しです。また観客や聴衆にとっても、会場自体のもつこうしたオープンネスを感じることは、自分自身の開放にもつながっていくことであるに違いありません。 ぜひとも継続をしていただきたいと願っています。 谷本仰(ヴァイオリニスト) |
じっくり作品作りが出来る場所は、演劇には不可欠です(他の芸術分野でもそうだと 思いますが)。地方にこそ創作の場が必要であることを深く感じるものとして、ESTA のような場や、その運営の意義が正しく評価されて、こういう場所が日本中にたくさ んできることを願います。 鳥の劇場主宰 中島諒人 |
「スミックスホール閉館」の知らせを聞き、驚いています。16年で老朽化とは残念です。 私たち東京在住の劇団にとってESTAは、SAMの皆さんをはじめ、北九州の多くの演劇人や観客と出会えた貴重な場所です。その出会いが今を支えています。 どうか運営継続の可能性を探っていただきたいと思います。 宗重博之(劇団黒テント代表) |
無謀・・・という言葉を合い言葉のようにして、ぼくたちは旅支度を始めました。 韓国・光州のマダン劇団<ノリペ・シンミョン>との列島縦断興行---- <時を超え、マダンに集う>。 なんの後ろ盾もないぼくたちが、出会えるはずの人々への信頼のみに根拠をおいて、総勢二十数名の劇団員と共に旅興行。 そんな無謀さをいとも軽やかに受け入れてくれたのが、ESTAに集う人たちでした。 準備期間に伝えられてくる、彼/女等からの活発な発信に、どれほど勇気づけられたか。ESTAという、<場>の豊かさを感じました。 そして・・・公演初日はなんと台風直撃。すべての公共交通機関がストップ・・・という事態にもかかわらず、ロビーでは朝鮮民族芸能のワークショップを開催。そして急遽ホール内に設営した舞台で無事公演を終了。台風一過の二日目には舞台を野外に移し公演を。その間の食事の準備や打ち上げも含め、わずかな滞在期間でしたが全施設を活用させてもらう、という幸運(?)に恵まれました。 人々が行き交い、時には立ち止まって言葉を交わし、そして芸能もまた生まれていく・・・。そんな集いの広場を、ぼくたちは<マダン>とよんでいます。画一化され、権威におもねった<劇場>からは決して生まれてこない表現を、行き交う人々とともに育て、支えていく<マダン=広場>。ESTAで公演することができたことを、幸せに感じています。ESTA存続を願う北九州の人たちの発言にふれ、ますますその思いを強くしました。 無謀(あるいは希望と言いかえてもよいかもしれません)を実現させてくれる希有な<場>としての「スミックスホールESTA」。 それは多くの人たちのふれあいの中、長い時間をかけて築きあげてきたもので、他のホールで代替することは不可能です。 この豊かさ がけっして失われることのないよう・・・ESTA存続!! を切に願います。 和田康(マダンの光 '07) |