■広島→北九州への潮流 2「大槻オサムと新しい天使」                             1「谷本仰と新しい天使」


青文字は大槻オサムの日記「ココロニ刺青スルヤウニ」より抜粋。(略)と書いてない部分でも前後中略があります。





●出会いをもたらしたのは、音楽であった。

04/02/10

旧友・森川良哉(尺八)とトリオ・ロス・ファンタンゴスの谷本仰(バイオリン)のデュオ「風の弦」のライヴ。谷本さんのバイオリンを聴くといつも「バイオリン」ってこんなに豊かな音が奏でられるんだ!と思わせられる。
二人はうちに宿泊したので、夜は焼酎飲みながら昔話や音楽・芝居談義etc.。フン賊小倉公演の日にファンダンゴスの小倉公演がブッキングしちゃってるのは二重に残念だわ。

●2005年7月上旬に、谷本氏から「Dialogues」の話があったようだ。

05/07/15

日本では仏教が入ってきてから、火葬の習慣はあったが、火葬は金がかかるので、すべての日本人が火葬だったわけではない。厳重に禁止されたのは明治になってからである。
私は昔から、死んだらどこか人の来ない山奥にでも捨ててもらって、獣に食われるまま、腐り朽ち果てるままにしてほしいと思っている。(略)冗談で写真家の上杉と、「俺が死んだら焼かずに山奥に捨ててくれ。そのかわり、お前が先に死んだら、俺が借金してでもお前の写真集を作ってやるから」と約束しているのだが、毎年内戦の続くボスニアを訪れる上杉の方が、どうも先に頓死する可能性が高いな。(略)できたら、私より長生きして、死体遺棄被告人になる危険を背負いつつ、私の死体を背負ってどこぞの山奥に分け入っていただきたいものである。
私の死体が獣に食い散らかされ、残りを虫が齧り、バクテリアが分解して有機肥料となり、死体の上に草が生え、花が咲く。ステキだと思うな、絶対。

05/07/19

9月3日の谷本仰師匠との「Dialogues」に向けて、ネタは決めたものの、さてそれをどう表出すべぇかなぁ、と思いを致しつつ稽古をしても、なにもまとまらないまま、体を動かす気持ちよさと声を出す気持ちよさにうっとりするだけで終わるこの頃である。(略)きっと本番にいたっても私はへっぽこなデクノボーに違いなく、せめて地に足の着いたデクノボーとしてそこに立っていられたらよいと、他人事のように願います。突っ立った死体に敬意を込めつつ。

05/07/26

少し前から、亮太郎がアビエルトで芝居したいと言い出してから、相変わらずあいつの性格でモタモタ自分の頭の中だけで色々悩んで全然話が進まないので、考えてばっかりおらんと、とりあえず具体的に動け!と尻をたたく。

●谷本仰「8月6日の広島」に初めてライブで行く

05/08/06

昨日は「ハチロク」に毒づいてみたりしたけど、別に無意味だなんて思ってるわけじゃないっすよ。人類が永遠に記憶にとどめるべき日だと思うしね。ただ、「ハチロク」を特別扱いするあまり、「8/6」や「ヒロシマ」が記号化していったり、そのほかの小さな無数の残虐行為がホワイトアウトしちゃう感じがちょっとイヤだな、って思うだけ。原爆だろうが竹槍だろうが、戦争の虚しさ悲しさ苦しさは一緒なんだから。身の回りのちっちゃなもめごとや、憎悪や、差別感や、利己主義や、そんなもんが全部戦争とか原爆とかにつながってるんだってことがわかんなかったら、戦争は止めらんないと思うもの。
(略)谷本さんも小倉から来てるし、行かなきゃ、と思って無理やり気を入れてOTIS!へ。したら、谷本さん、バイオリンも弾いたけど、今日はギターの方とデュオで、歌メイン!しかも、歌もかっこええじゃん!まったく何やらせてもうまいなあ。9/3の小倉に向けて、プレッシャーと信頼感がともに1.6倍増しよ。そんで、トリの遠藤ミチロウ!今日はなんだか、谷本さんにしろミチロウさんにしろ、「歌」の力みたいなもんをヒシヒシと感じたなあ。
TVは全国何百万人が見るだろうけど、TVキャスターがお定まりの文句を喋るのを見るより、こうやって生の力のある表現が、確実に数人とか数十人の心に刻み込むハチロクの方が、断然力のあるハチロクだぜ、って思うわ。

05/08/10

〜ぜんたいこの街の人は不自然だ
 誰もあのことを言わない いまだにわけが わからないのだ
 わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ
 思われたのに生き延びているということ
 そうしていちばん怖いのは あれ以来
 本当にそう思われても仕方のない 人間に自分がなってしまったことに
 自分で時々 気づいてしまうことだ〜

          こうの史代「夕凪の街」

広島では電車の中吊り広告でも出ている、こうの史代「夕凪の街」というマンガの一節だ。

 「この街」とは広島で、「あのこと」とは、原爆投下のこと。

 実を言うと作者は私の大学の先輩の妹さんで、彼女はきっと覚えていないだろうが、まだ漫画家になっていない学生の頃に、一度だけ顔を合わせたことがある。随分前に先輩に、「妹が漫画家になって、初めて単行本になったんよ」といただいた作品は、たわいもない日常をほのぼのと描いたもので、正直「ふーん」というくらいだったのだが、この作品には、圧倒された。
 広島に原爆が落ちたことは知っている。原爆で広島がどうなったかも、資料館の展示品や各種の書物で知っている。しかし、原爆の後、広島の人たちがどういう日常を送っていたのかは、実はあまり知らない。一瞬にして都市を壊滅させた、その爆発の凄まじさと、原爆症についてはあちこちで書かれているが、その後の生き残った普通の市民の日常の感覚を、これだけリアルに描き出したものは初めて目にした。もちろん、作者は私より年下で、彼女の祖父母、両親や、その他の被爆者の体験を聞いてこの作品が出来上がったのであろうが、現代の日本に生まれ育って、ここまでリアルに当時の人々の感覚を思い描くことの出来る想像力に感嘆するほかない。創造力とは想像力であることを思い知る。

『わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ』

心臓が止まるくらいの衝撃だった。

アメリカがイラクを空爆する。そのアメリカを日本が支持する。我々はイラクの人など「死ねばいい」と思っているのと同じことなのだと知るべきだ。

私たちは、もっと死のことを考えてもいいはずだ。

若い世代ほど、きっと死というものにあまり触れずに育っていることだろう。生が希薄に感じるのは死が希薄だからだ。希薄さに耐えられなくなって自殺したり、殺人を犯したり、動物を虐待したりする。親が子供を死から遠ざけようとするのは優しさではない。きっと、死に接した我が子の感情の変化を受け止める覚悟が無いのだ。死と言うもののことを子供にうまく説明する自信が無いからだ。

死のことを、もっと考えたい。語りたい。生きるために。人は誰でもいつか死ぬ。いつかはそれを受け入れなければならない日がくる。死を考え、死を語ることは、生を考え、語ることでもあるのだ。

そんなことを思いながら、舞台の構想をじんわりと思い描いている。

●そう、その頃谷本仰も・・・

05/08/16

Dialoguesの打ち合わせを口実に小倉に遊びに行く。
小倉のバプテスト教会で映画「日本国憲法」の上映会。谷本師は牧師さんでもある。
少し遅れて途中から見させていただいた。アジア諸国からの「日本は正式に謝罪をしていない」という抗議に対して、日高六郎さんが「二度と戦争をしない」と誓った第9条こそがなによりの謝罪ではないか、とおっしゃられていたのが印象的だった。あと、どうしても気になったのは、多くの外国人の出演者が「第9条は素晴らしい条文であり、これを改正することは間違っている」と発言していたのだが、ふと冷静に考えて、「そんなに第9条が素晴らしいというなら、何故彼らは自国の憲法にも戦争放棄を明示するようにしよう、という運動をしないのだろうか?」と率直に感じた。正直なところ、そこにはある種の欺瞞が潜んでいる気がした。

平和と言うのは自明にあるものではない、平和を維持するための不断の努力が必要なのだ、と上映会の後で発言された方があったが、その努力とは、必ずしもデモンストレーションをしたり、抗議行動をしたり、ということでなくても良いのだろうと思う。みんながもうちょっとだけ、今よりもうちょっとだけ「戦争とは何か、平和とは何か」を考えてみること、それを時々でも良いからずっと考えてみるだけで、ちょっとずつ今よりマシになっていくんじゃないかと思う。
私は、戦争を完全になくすことが出来ると考えるほどには楽天家ではない。人間は抑えきれない欲望を抱えた弱い生き物であることもまた事実だと思う。こういう言い方はお叱りを受けるかもしれないが、単純に「戦争は悪だ、平和が正しいのだ」と教え込むことは、それも一種の洗脳ではないかという気がする。なぜそうなのか、という自分なりの根拠が無ければ、そんな考えは簡単に揺らいでしまうだろうし、簡単に洗脳される人間を育てれば、軍国主義の洗脳にもまた侵されやすい人間となりかねない。子供に、戦争と平和とどちらがいいかと聞けば、多くの子供は平和と答えるだろう。では、お金があるのとないのとではどちらがいいか、と聞けば、やはりあるほうがいい、と答えるだろう。平和でお金が無いのと、戦争してお金が儲かるのとどっちがいいか、と聞かれたときに、さて、どう答えるか?まあ、そんな単純な話でもないのではあるけど、現実的にはそういう要素を当然はらんでいる。単純じゃないからこそ、考え続けていく、ということが大切なんだと思う。戦争というのは、人間とは何か、という問題が凝縮された場でもある。

で、谷本師のBlogにトラックバック的にモニュメントの話を書いていただいていて、そこに出てくる日向墓地の話はお会いしたときにも聞かせてもらった。なかなか示唆にとんだ含蓄のあるエピソード。実は小倉行きの前日に、北九州の炭鉱のことを少しインターネットで検索していたので、やっぱりそう来ましたね、という感じのDialogue。石の話から石が転がるように、またDialogueのイメージが転がっていく。

少し話はそれるが、その石の話から、後で考えていたのは、墓標というのはどこの国でもたいてい石か木で、それは現代でもあまり変わらないということ。墓石などは高価なものだが、プラスチックや合成樹脂でいいじゃないか、という発想にはならない。石か木という自然物。だんだんと自然から切り離された生活になってきても、やはりどこかで、死んだら自然に帰る、という思いはあるということなのかもしれない。墓標をプラスチックで作るようになったら、きっと人類の滅亡は近いのだろう。

05/08/18

考えれば考えるほど混乱します。Dialogues:死者の書。対話を重ねる度に石が転がるようにイメージが転がって、雪だるまのようにふくらんで、おっきなおっきな生と死の中に放り込まれて、消化し切れるのか、俺は。いや、消化なんかできるわけはない。どうやって、色んな生と死を呼び覚まして俺を透過して解き放てるか。受け止めるのは俺じゃない、見に来てくれるお客さんたちなんだから。お客さんが受け止め切れないくらいのナニカを呼び活けて受け渡すのが、きっと俺の役割なんだろうな。俺はただのゲート。
テーマのでかさに時にへこたれそうになりつつも、被爆建物の中でアウシュビッツの映像バックにパフォーマンスやった、いや、というかやらされた時のあのプレッシャーに比べたら、、、。しかもあんときゃ一人きりだったしなあ。巨匠を信頼して、プレッシャーも楽しみに変えていきまっせ。

05/08/20

午後からアビエルトへ、明日のロルカデーの仕込みの手伝いに。夕方、東京からテント芝居の池内さん一家と明日出演のチェロ奏者坂本弘通さんが到着。プチ前夜祭。
坂本さんは、去年、小倉のうずめ劇場がテント芝居をした時に谷本さんと音楽を担当されていて、谷本さんは、それがDialogueシリーズを始めるきっかけになったと言うとられた。色んなところで色んな出会いがあって、そこからまた新しいナニカが生まれていく。人間を変えていくのはいつも人間との出会いでしかないんだろう。

●05年9月3日、「Dialogues#7」終了。

05/09/14

泌尿器科でレントゲンを撮ったら、7×5mmの石があることが判明。(略)しかし、石ができたのって、多分、谷本さんからDialoguesの誘いを受けてから、「死者の書」から始まって、石をモチーフにしようと考え始めて、という過程のどこかなんだよなあ。Dialoguesでは広島から石を持っていって小倉のお客さんに渡したんだけど、どうやら自分も石を受け取ってしまった。そう思うと外に出すのが憚られる気もするよなあ。熱と痛みがなければずっと体の中に持っておきたいような。この石が出てしまっても、見えない石はちゃんと持ってよう。

05/09/16

「死者への手紙」という本を見つけた。小倉でのDialoguesの作品タイトルは折口信夫の「死者の書」から、最終的に「書」に(てがみ)とルビをふったのだが、あまりの類似に内容を確認すると、戦時中、いわゆる「軍艦島」を含む、長崎の三菱の海底炭鉱に強制連行された朝鮮人労働者についての本であった。不勉強な私は、この本のことを知らずに作品タイトルを「死者の書(てがみ)」とつけたのだが、谷本さんとのDialoguesの中では、日向墓地の朝鮮人炭鉱労働者の話が出てきて、そこから「石」というモチーフにとりつかれて行ったのだから、まったくDialoguesが始まって以来、一体どこまでこういう奇妙な符合や偶然の一致に出会い続けるのだろうと不思議な気持ちになる。

05/09/18

1980年の光州事件を追った「全記録・光州蜂起」を読む。民主化を求める市民を、軍があたかも狩りでもするかのように残虐に殺戮していったのだ。軍隊は「国家」を守るのであって、国民を守るものではない、ということを、改めて思う。
「日本も軍隊を持つべきだ」という主張の勇ましさに、ただなんとなく賛成している人たちは、その軍隊は自分たちに銃口を向けることがありうるということを、想像してほしいものだ。

●広島でとある舞台公演を観に行った感想から。

05/09/26

それぞれ三様に現代社会の虚構性をあぶりだそうとしている。それぞれ、良く出来た芝居でもあった。ただ、お客さんの反応を見ていると、「よくできた芝居」で「面白かった」という以上の何か、つまりは、「わかってんの?これはお前のことであり、お前のいる社会のことだぜ」というトゲが突き刺さったようにはあまり見えない。これは恐らく、TVその他の刺激と情報過多に慣らされてしまった見る側の日常での危機感の薄さ、表現に対する読み込みの浅さもあるだろう。(そしてわかっていてもそんなキツい現実には目を向けたくはない)もちろん、お芝居は教育でもアジテーションでもないのだから、変に啓蒙的になるのは考え物だ。しかし、トゲはトゲとして受け取る側にできるだけ確実に「傷」を負わせたい、とは思わないかしら? 多分それは、上手にキレイに作るだけでは届かない部分があるのじゃないだろうか? ヘタでも矛盾やほころびが一杯あっても、きちんと大地に足を踏ん張って生きている一個の人間の命をぶつけてくるようなアングラ的(無論格好だけ過激なアングラもどきは除く)な表現が、やっぱり私は好きだし、「面白かったね」だけで終わらない、「生きて」いくために必要な傷を与えてくれるものとして、「ただの妄想」でしかない「確実性のある妄想」に支配され、「必要の無い虚構」で本当の自分を隠して生きることを余儀なくされ、何をするべきかわからない若者を大量に生み出すこのやりきれない現実に、確かな裂傷を刻み付けるものとして、メディアが大量に流す毒にも薬にもならないエンターテイメントに押しつぶされて絶滅しないことを願います。しないと思いますけどね。楽しいエンターテイメントの仮面をかぶったファッショなど、いつかは化けの皮がはがれて破綻する、警鐘を鳴らし続ける人間は消えることは無いし、今はノンキに流されているばかりの人間もいつかは現実の馬鹿馬鹿しさに気づくときが来る。それは私の「確実性のある妄想」です。

05/10/01

昨夜は密かに進行中のわれらが田中亮太郎プロジェクト(?)のミーティング。重いけど大切な題材を扱ったある脚本を広島の役者で上演しよう、という企画で、既存の劇団ではなく、その枠を取り払ったユニットで、という亮太郎の発案で、色んな人が集まった。脚本に惹かれた人もいれば、亮太郎の人間性に魅かれて来た人もいるし、とにかく何かやりたい、ということで顔を出してみた人もいた。そんなわけで、必ずしも話し合いはスムーズにまとまるわけでもなく、結局参加意思を保留した人もいたけれど、色んな立場の人が意見を出し合う意味はあったと思うし、その中で、企画を進めていく上での問題点も、大切にしなければいけない核も見えてきた。誰でも気軽に参加できる、というほど能天気な企画でもないから、参加者を選んでしまう部分は出てくるとは思うが、マジメに何かを作り上げようとすれば、それも致し方ないだろう。それでも、この動きに加わってくれる人が少しでも増えてくれたらいいな、と思う。今だからこそ向き合っておきたい題材だと私は思うし、この題材のことなど今まで聞いたことも無かった、という若い人にこそ、つきあってみてほしいと思う。すごく大変な作業になると思うけど、必ずその向こうに何か見えてくるはずだ。

05/10/27

「死者の書」を継続的に上演していくプラン。次は年内に広島で、という話だったのだが、小倉公演直後から体調不良のため頓挫したまま。小倉公演の勢いのまま行ければよかったのだけど、一頓挫したせいでモチベーションをもう一回上げるのに手間取っている。体調のせいかと思っていたが、それだけでもない気がしてきた。小倉でやった「死者の書」は、この足元に埋まっている、原爆や、炭鉱労働者や、その他の大きな力に踏みにじられた名もない命の声に耳をすまそう、というような、簡単に言うとそういったようなパフォーマンスになったのだが、いざこれをそのまま広島でやると思うと、あまりにも生々しすぎて、表現としての広がりを欠くような不安を感じているみたいだ。広島でやるには、何か違う形を持ってこないといけない、と漠然と感じている。それが何なのか、思考がまとまらない。

05/11/09

なかなか実現のメドがたたずに、現在も人集めなどに頭を悩ませているところですが、亮太郎企画のお芝居を、できれば来春あたりにやろうとしています。韓国の光州事件を題材に、「独火星」の池内さんが書き下ろし、今年光州で行われた光州事件25周年のイベントで上演された脚本です。これを、広島の役者・スタッフ、特に若い人たちと上演したい、という企画です。テーマが重いせいか、なかなか広島の若い演劇人に声をかけても二の足を踏むようです。
確かに多くの光州市民と学生が犠牲になった気の滅入るような事件ですが、いつどこでも起こりうる可能性のある問題であり、現実に世界のあちこちで今も似たような事件は起こっており、将来的に日本でも起こらないとは言い切れない、他人事ではすまされない問題です。と言って、この「平和」な日本に生まれ育ち、すでに学生運動のピークも過ぎ去った時代に育った私たち以降の世代にとっては、なかなかリアルな問題として受け止めにくいのも確かだと思います。

脚本を書いた池内さんたちにとっては、彼らが様々な運動にもかかわっていたこともあり、民主化運動が軍の殺戮によって鎮圧されたこの事件は、同時代的なインパクトもあり、また、事件に関係して、実際に知り合いが命を落としたりもして、リアルな問題としてあるのでしょうが、もちろん、私とて事件の起こった年はまだ高校生になったばかり、剣道部の練習にあけくれ、また、友達と遊んだり、やれ試験勉強だとか、すぐ隣の国でそんな事件が起こっていたことなどまったく記憶に無いわけで、事件そのものはまったくリアルでなどないのである。
それはそれで、仕方のないこと。でも、それは遠い昔によその国で起こった自分と関係の無いことかといえば、決してそんなよそよそしい話ではない。神様同士が殺しあったとかいう非現実のおとぎ話ではない。

私が芝居を始めた頃は、もともと分けも分からずアングラ芝居の格好のまねごとのようにして始めたもので、特に誰かに演技を教わったとかいうこともなく、「自分の表現をやるのだ」というような不遜な気持ちでやってきた。だけど、だんだんやっているうちに、「自分の」表現などとぶちあげたところで、所詮「私」など、この大きな世界の中では小さな小さなものでしかないことがわかってきた。「個性」なんて言ったって、人は一人ひとりみんな違うのだから、ことさら強調する意味など無く、「自分の」思想、感覚、発想、なんて言っても、結局たかがしれている。

9月に谷本さんとやったDialoguesを作っている過程で、「死者の声をいたこみたいに呼び寄せるような」ということを谷本さんにいわれ、あ、役者って、そういうもんなんだな、と思った。「自分」にこだわりすぎると、小さな「自分」の世界を超えられないけど、「自分」をあちら側とこちら側の出入り口のように立てば、自分を越えた向こう側までをこちら側にたくさん呼び寄せてくることができるのだと。意識しようがしまいが、こだわらずとも「自分」は「自分」として否応無くそこにあるのだ。
だから、自分にとって決して「リアル」な体験ではないことであっても、「自分」というフィルターを通して映し出すことは可能だし、結局、表現とはそういうものでしかないに違いない。

それで、あえて、この芝居は、事件を知らない世代によって作ってみようと亮太郎たちと考えた。「今」の自分たちを通して、「記憶」をどう消化し、表出できるか。リアルに体験した世代の人たちから、「それは違うよ」と言われたって、全然かまわないのだ。違っていて当たり前なんだから。
というわけで、真剣に向き合ってほしいと思うけれども、あんまり重い、と思わずに、参加してくれる人がボチボチ出てきてくれたらいいな、と思っている次第です。

●OTIS!にて、寺内大輔+堀江龍太郎ライヴ

05/11/19

おもろかったっすよ。詩のボクシング全国大会準決勝進出経験のある、広島が誇る(現在はアムステルダム在住)「飛び道具」(いい意味で、ね)音楽家寺内さんが、また飛び道具なトロンボーン奏者(ドイツ帰り、今後広島在住)を引き連れて、たまらんです。反則です。でもちゃんとクラシックの素養があっての反則ですので、プロレスなら魅せるチョ−ク攻撃といったところですか。ちょっと、違いますか。堀江さんのソロはトロンボーンを吹きながら、声を出したり、振り付けがあったりするんですが、全部れっきとしたスウェーデンの(しかも全部別の)作曲家が書いた譜面に基づく演奏だそうで、ライヴ後に譜面を見せてもらいましたが、ちゃんと振り付けやしゃべる言葉が絵で書いてある譜面!映画の絵コンテみたいなもんですかね。堀江さんは広島に住まれるそうなので、是非いつか競演させていただきたい、ですわ、ほほほ。

05/11/28

3月に予定している芝居の音楽をお願いしようと、先日寺内さんのライヴでお会いしたばかりのトロンボーン奏者堀江さんに会う。ライヴのときに、この人は食いついてきそうだな、と直感した通り、快諾を得て、もうひとり、小倉のバイオリン奏者谷本さんにもお願いしており、私だけが勝手にまだ会っていないふたりの音楽の出会いは絶対面白いのではないかとワクワクしている。ふたりとも、まだ見ぬ相手との競演にも快く応じてくれて、しかし、広島と小倉、もちろん広島の役者陣と谷本さんとのことも含め、どうやって作り上げていくか、頭は痛いが楽しみはふくらむばかり。

ちなみに、来年1月22日、小倉での谷本氏率いる「呆けすとら」のライヴに出演要請あり。ああ、忙しくなってきた。さっさと腰痛を癒さなくては!

Dialogues#10垣内美希編を見に小倉ケイトミュージックへ。

05/12/12

しかし、月イチで10回目か、ようやるわ、谷本師。私らもフン賊立ち上げたときはたった二人で自作短編芝居二本立てを月イチで上演するという無謀なことをやったが、さすがに半年6回しかやんなかったからなあ。でも脚本数なら12本だ!勝ってる?もうちょっとでそれも抜かれますけど。
お疲れのところ、打ち上げ中、さらに谷本師の教会に戻ってから2時半くらいまで劇中音楽のことを打ち合わせ、少し寝てから6時に起きて朝の新幹線でとんぼ帰り、広島駅から直行で仕事に出る。キツい〜。

05/12/25

今日は上杉も作品を出展している「ARTOM60」at旧日銀広島支店へ。(略)会場である旧日銀は、被爆建物として保存されてきた。数年前からアートや平和関連のイベントに開放されるようになったが、そこには守衛さんがいるだけで、生命活動や経済活動とは無縁な物体である。原爆投下以前にそこで銀行取引が行われ、多くの行員たちが活動していた痕跡もあるにはあるのだが、それは「死」としてそこにあると言ってよく、生命力のある痕跡などではない。建物自体が恐ろしく無機的で虚無的なのだ。と同時に、被爆の記憶、多くの死の記憶を宿した場所として、とてつもなくマイナスのパワーを孕んだ場所である。そこにいかにも現代アートな無機質な作品を置かれても、どうにもうすら寒いのだ。むしろ野原の真ん中にでも展示すれば、自然の生命力との対比に興趣もそそるかもしれないが、ここでは建物自体が持つ虚無とマイナスのパワーの前に、まったく萎びたチンポのようである。

上杉の作品は、多少身びいきもあるかもしれないが、私は良かったと思った。最近はインスタレーション的な展示方法を使っていたが、私としては不満だった。もっと写真や映像そのもので勝負した方がよほど力のある作品になると思っていたからだ。今回は、彼がコソボ、キューバ、ツバルなどで撮影してきた映像を一本の映像作品にまとめ、地下金庫室の壁にシンプルに映し出していたが、下手な小細工をするより、ずっと良い。映っているのは、それぞれ内戦や温暖化の深刻な問題を抱えた地域の、「普通の民衆」たちだ。「普通」と言っても、もちろん、「普通の」日本のパンピーとは暮らしぶりも顔つきもまったく違うのだが、ともかく、そこにはまぎれもなく大地に両足を踏ん張って暮らしている人々が映し出されている。それでいい。この虚無的でマイナスのパワーに満ちた空間と対峙するには、この力強い人間の生命力こそふさわしいと思える。

05/12/29

今年始動した身体表現ユニット「単独旅行舎」で5月に伊勢での「カラコト」に出演(略)立ち上げたばかりで、手探りのまま、なかなか最終的な出来上がりのヴィジョンにたどりつけなくて前の晩まで必死に考えて修正して、尚且ぶっつけ即興な感じ、結構迷いながらやってた。結構自分的には思ったほどのことが出来なかった思いが大きくて、「わしって、所詮この程度かあ」と落ち込んだ。あんまり次の動きをすぐ考える気にならず、このまま何もせずに時間が過ぎていったら、このまま何もできなくなってしまうのかなあ、とも思った。そんなところに谷本さんからDialogueの誘いを受ける。「え、何でわし? 小倉にも役者さんはたくさんいるでしょうに!」、だって、私は谷本さんのライヴに何度か行ったことはあるけど、谷本さんは私の芝居を一度も見てないんだよ。やや自信喪失気味だったこともあり(略)辞退しようかとも思ったが、マジでこれを断ったらこの先何もできなくなるような気がして、引き受けることにした。なにしろ谷本さんのミュージシャンとしての懐の広さには信頼がおけたし、ここは谷本さんの手のひらで踊らせてもらえばいい、くらいのつもりでやろうと言い聞かせた。でもって、色んなジャンルのアーティストと1対1の対話で作り上げていく、というDialogueシリーズ、とは言え、私の前の6回のラインナップを眺めながら、本番までの言葉のやりとり、イメージのやりとりはあるだろうが、基本的には本番は即興に近い形式であっただろうと想像された。そこで、せっかく「役者」として呼んでいただいたのだし、全部即興というのではなく、ある程度きっちり脚本を作ってやったらそれまでのDialogueとはかなり違ったモノが出てくるのではないかと思い、まず、私が以前に何度か一人芝居のネタにした折口信夫の「死者の書」を提示、そこから、HIROSHIMAの死者たち、筑豊の炭鉱の死者たち、そして、この私たちの足元に眠っている数え切れない無数の死者たちへと、対話の中でふたりの思いは広がっていき、一人4役、ダンスあり、人形漫才ありの5場立て一人芝居が出来上がった。これも「カラコト」の時同様、前夜までかかって必死に練り上げた。脚本自体、随分谷本さんに助けてもらった。本番での谷本さんの演奏も、とても気持ち良く演じられた。もっとうまくできたらな、ってとこはもちろんいくつもあったけど、何より、この先もやっていける、という気持ちになれたこと、それだけで、このお誘い、受けて良かった。谷本さんにはホントに感謝だ。

●1月、野宿者による下関駅放火事件が起こる。「呆けすとら」ML上でも意見交換が行われた。

06/01/16

ホームレス支援の現場におられる谷本さんと違い、垣内さんと同様、私もホームレスの方のことを身近によく知っているわけではない。知らないことは無限にある。すべてを知ることは不可能だ。しかし、私たちは「想像力」を持っている。駅に放火したホームレスの気持ちも、駅を焼かれたJR職員の気持ちも、駅が使えなくなって困っている利用者の気持ちも、自分と関係ない人がやったこと、とTVを傍観している人の気持ちも、ちょっとずつ想像できる。想像するには手がかりとなる何がしかの知識と経験が必要だ。どこかの星にいるかもしれない異星人の気持ちは、何の知識も疑似体験も無いから想像できない。できる範囲でかまわないから、知ろうとすること、想像してみること。そこからモノゴトは始まる。

3月に公演するアリノネ「新しい天使〜月にいちばん近い丘まで」もそう。光州事件を題材にした脚本だが、事件当時私はまだ小学生で、何の記憶も残っていないし、韓国に行ったこともなければ、親しい韓国人もいない。デモで機動隊と衝突した経験も、もちろん軍隊経験も無い。軍政下での戒厳令、その中での民主化デモ、軍隊による弾圧、虐殺。すべてリアルに経験したことの無いものだ。それでも、本を読んだり、当時のことを知っている人の話を聞いたりして想像する。事件の凄まじさには当然及ばないにしても、自由が脅かされる不安、命がけで何かを守ろうとする意思、大きな力に命じられ、また扇動されるまま、非道なことをやってしまう愚かさ、そういったことは、小さいながらも自分の経験の中にひっかかる部分はある。そして、場所も時間も政体も経済状態もあの時の光州とは異なる今ここも、決して分断された時空間の中にあるわけではないことを知る。あの日、自国の軍隊の銃弾に倒れた学生が、あるいは武器も持たない学生を虫けらのように射殺した兵士が、その様子を知りながら恐ろしくて遠くから見ていることしか出来なかった市民の一人が、何故この私ではないのかという理由を、説明できる人はいるのだろうか? ほんの小さな運命のいたずら次第で、私は彼らであったかもしれない。その時、自分ならどうしていただろうか? その自分は豊かな日本で平和に育ってきた自分では、ない。人は想像する。想像することで、時間や空間を越えてつながることができる。


●呆けすとら歌舞音曲スペクタクルショウ終了。流れで2月OTIS!にて「真冬の妖怪ないと」企画。

06/02/06

純粋に、えれえ楽しかったぁ。お客さんも思ったよりたくさん来てくださったし。
今回は、3月のユニット・アリノネ公演「新しい天使〜月にいちばん近い丘まで」で音楽をお願いしている谷本仰(ヴァイオリン)、堀江龍太郎(トロンボーン)両氏との共演。実は、谷本氏が小倉、堀江氏が広島在住ということで、実際に顔を合わせたのは昨日が初めて。しかも、谷本氏の広島到着は開場1時間半前の5時!そもそも堀江氏に芝居の音楽をお願いしたのも、寺内氏とのOTIS!でのライヴを一度拝見しただけで、その時の、「この二人なら絶対おもしろいことになる」という私の直感だけでの依頼。おふたりには快諾していただいたものの、小倉と広島ではそう何度も実際に顔を合わせての音作りもできないし、なにしろ当人同士は会ったこともないし、お互いの演奏を聴いたことも無い。メールのやりとりや、私が小倉に行った折に話をしたりしてここまできたものの、実際に二人が一緒に音を出すのを聞いたのはこの日の5時からの短いリハが私も初めてである。この日演奏する曲目も、何曲かはこちらからリクエストしていたものの、もともとはコンポステラや呆けすとらの曲なので、それをヴァイオリンとトロンボーンのデュオという組み合わせにどうアレンジするのか、そして、決まっていなかった曲目をどうするか、開場までの1時間半の間に私との三人でギュッと集中しつつ、「おー、そう来るか、じゃあ、こうしよか?」みたいなワクワクで全体の流れをざっくり決める。もちろん全体を通してリハする時間は無いので、後は本番どうなるか? 本番前のやりとりで、なんとかなりそうな感触は確実にあったけど、やっぱり本番でどんな音が出てくるのか、ふたりのコンビネーションは、そこに私らのダンスがどうからんでいけるか、と期待と不安の中開場、開演。いや、しかし、予想以上におもしろかった。さすがにテクも音楽的なキャパの広さも、即興での音楽の楽しみ方もきっちり持っているお二人。手探りの緊張感も即興ならではの良いテンションで、私が予想していた以上にノリノリな演奏で、踊っていても楽しかった。後半での、今回初の試み、私の朗読(内田百閧フ「件」)で、田村、国本の二人が踊り、朗読の途中で私のソロが挟まるという趣向も、なかなか面白かった。ライヴ後のお客さんの感想も、おおむね、「完成度高かったね」というもので、「ほとんどぶっつけの即興です」と言うとビックリされる調子。この日のライヴも楽しくて最高だったが、これで3月の芝居本番も絶対オモロいことになる、という予感を更に深めることができた。手前味噌ながら、リスク覚悟でこの二人に音楽をお願いしたのは大正解だったみたい。

ライヴの後、谷本・堀江両氏、演出の田中、舞台監督上杉、女優めづまりと芝居の音楽の打ち合わせをして、それから、芝居のこと、表現のことなど語らいあって、谷本氏が持ってきてくださった先日の「呆けすとら」のDVD見ながら爆笑したりしつつ、気がつけばああ、朝6時。外を見ると、「雪が積もってる!」


●そして3月19日、広島アビエルトでの「新しい天使」の上演が終わった。

06/03/21

もとより、光州事件を肌身で知っているわけではない世代で作り始めた芝居、たくさんの誤解や失敗を内包しながら本番を迎えるであろうことは覚悟の上。その上で何かがここから始まっていけば良いと思ったし、現に、間違いなく、何かが始まったのだと実感できる場を作ることができた。それはどんな批判を受けようと、それを受け止めて次へとつなげていける大切な力になっただろうと思う。

とにかく、たくさんの人の、たくさんの思い、今生きている私たちだけでなく、ずっとずっと昔からの、本当にたくさんの人の思いが積み重なり、つながって、転がって今ここに、この場があるということを、これほど実感させてくれた現場は初めてだったし、それは思えばなんだか奇跡的なことのようでもあり、同時に運命的な必然でもあるのだ。

たくさんの、その思いのつらなりに感謝しなければいけないが、とりあえず、この大きなテーマに立ち向かうことを決断した演出・田中亮太郎に、そして、演じれば演じるほどにひとつひとつの言葉が新たに立ち上がってくるようなこの脚本を書き、私たちが演じることを快諾してくださった池内文平氏に、そして、この芝居を作っていく現場としてアビエルトを提供し、なおかつじっと現場を見守り、最後まで立ち会ってくれた中山幸雄氏に、ありがとう、を、心から。

06/03/23

 絵本 おこりじぞう 山口勇子 四国 五郎 金の星社

これもDialoguesでの「死者の書(てがみ)」からの不思議な流れのただ中にあるらしく、原爆投下の瞬間を描いた絵本です。フン賊では時事ネタや歴史ネタに触れつつも、説教臭いお題目なんぞクソクラエ、と、あくまでスチャラカに狂気とナンセンスをやってきたのが嘘のように、ズシッと重たいテーマとガッツリ向き合わざるを得ない現場が続いている。20代の頃は、正直言って、こういうのは気が重かった。でも今は、自然に受け入れることが出来る。何が変わったというわけでもない。その間に、戦争を体験したとかいうわけでもない。特別の衝撃的な転換点があったというのではない。ひょんな縁から今の仕事に変わって、強制連行や原発の問題が身近になった。それから、9.11から1年後の「YEN」で、上杉の撮ってきたアウシュビッツの映像を背負ってパフォーマンスをした。そして谷本さんとの出会い。勝手に何かが背中を押しているのだとしか言いようがない。アリノネのことを、谷本さんがBLOGで触れているが、私は決して彼ほどDEEPな現場を体験してきたわけではない。そのことだけを取れば、とてもじゃないが、対等に舞台に立てる身ではない。
そう、そういう引け目が、20代の私にはあった。でも、Dialoguesで、谷本さんはそんなことは一切問題にせず、対等に向かい合ってくれた。(アリノネでも、私以上に何も知らない世代の役者・スタッフたちを前に、きちんと対等な表現者としてすべてを投げつけてくれたのだ)。

あそこで鈍感な私も気がついた。体験者でなければ表現できないなら、役者などなんのためにいるのか。ならばただ体験者に語らせておけばいいではないか。だが、現実には、その現場にいても語ることのできない者たちがほとんどなのだ。語る手段を持たない、または、語ることを禁じられていたり、あまりにつらくて本人が語りたくなかったり、そして何より語りたくとももうこの世にいない者たちの方が圧倒的に多いのだ。彼らの声をこの世界に現在させるために役者は存在する。そして、時間も空間も遠く離れたいくつもの声を、つなぎあわせて共鳴させることさえできるのだ。たとえ拙くとも、彼らの声のほんの何分の一かしか掬い上げることがかなわないとしても、あるいはまったくの誤解を含んでいる可能性があるにしても、臆せずに立とう、と思う。私がひるんだとして、誰かが代わりに立ってくれるとは限らないのだから。いや、実のところ、そんな肩肘張ったことでは全然ないのだ。目をそむけさえしなければ、世界はいつでもどこでも目の前にあって、私と向き合っている。当たり前に、いつどこにいようと、世界と私とは、1対1なのだ。

めづさんが「やってる最中に色んな死者とかが目の前に浮かび上がってきて、芝居本番の途中でも言葉に詰まってしまう」みたいなことを言ってたけど、ホンマ、そんな感じで、そういうもんと向かい合っていることでの目に見えない消耗が凄かったんだと思う。

06/07/17

田口ランディ短編集「富士山」を読む。中に「ジャミラ」という、ゴミ屋敷の話がある。フィクションだが、TVでも取り上げられていた自宅にゴミをひたすら溜め込むおばあちゃんの話をもとにしている。市の環境課に配属され、ゴミ屋敷のおばあちゃんを説得してゴミを撤去させてもらう(できたらおばあちゃんも施設に移ってもらう)仕事をあてられた若者は、みんなから迷惑がられているこのおばあちゃんが嫌いになれない。今まで嫌いなもの、見たくないもの、面倒くさいことはすべて「無かった」ことにして、自分の架空の「穴」の中に捨てて生きてきた彼は、ふと、自分が今まで捨ててきたものたちはどこへ行ってしまったのかと考える。「物」は捨てればすべて「ゴミ」になるが、誰かが拾えばまた「所有物」となる。人が「ゴミ」として捨てたものを、こつこつ持ち帰って自分の「所有物」だと主張して撤去を拒み、悪臭たちこめるゴミに埋もれるようにして生きるおばあちゃん。彼が捨ててきた有形無形のいろいろなものも、このゴミ屋敷に積み上げられているのではないかという想念が湧く。
「新しい天使」で私が演じる「ジャクラ」はリヤカーを引っ張ってゴミを拾い集めている。捨てられた「時間」にも、まだ生き延びる権利くらいあるだろうと思ってね、と。捨てられた「時間」は掘り起こされ、拾われてまた生き延びていく、のか? 別の登場人物である「ユウヅキ」は、「元あった場所に返してやるんだ。そしてそれがたどらなかった道筋をたどりなおすんだ」と言う。

「ジャクラ」のおばあちゃんは、やり手のカウンセラーに説得されて、最後はゴミを撤去し、施設に入ることを承諾してしまう。「物質」はいつかは廃棄せざるをえなくなる。だが、人の思いや記憶は物質のように処理してしまえるものではない。環境課の彼が「穴」に捨ててきたはずの「思い」が、ゴミ屋敷を前にして蘇ってきたように、ゴミ屋敷の物質的なゴミは撤去され処理されても、おばあちゃんが拾い集めた形のない時間や思いはトラックに乗せて処理場に送るわけにはいかない。

この小説を読んでいたら、時間や空間を越えて、まるでずっとずっと昔から、そしてこの先も永遠に「捨てられた時間」を拾い集めているかのような印象のあるジャクラの、その拾い集めた「時間の山」が思われて、ちょっと気が遠くなりそうな気がした。それらを全部「元あった場所」に返して、「たどらなかった道筋」をたどりなおすって???もちろん、そんなこと、ひとりの人間にできることではない。まして、フィクションの人物である「ジャクラ」ならともかく、現実の生身のダメダメ人間である私にできることではありえない。しかし、だから池内さんはこれを戯曲化したのだと思うし、私は微力ながらそれを演じるのだろうと思う。誰かに受け渡すことが出来れば、捨てられた「時間」を拾い集め、「元あった場所」に返し、「たどらなかった道筋」をたどりなおすことは、可能性のほとんど無いような孤独で虚しい作業ではなくなる。

「新しい天使」はそういう芝居なのかな、と思う。

06/08/06

谷本さんの教会に泊まらせてもらう。3時頃までアリノネ音楽打ち合わせ。翌朝、8/6に谷本牧師がどんな説教するのかな、と興味があったので、日曜礼拝に参加させていただく。もともと今日と来週は「平和礼拝」という題目に予定されていたのだけど、ちょうど先日、レバノンのカナで一般の避難民が爆撃され、しかもその犠牲者の多くが子供だったといういたましい事件があったばかりだったので、そのことをからめてのお話。ヨハネの福音書に出てくるカナという村が、まさに今回の爆撃にあったカナなんだそうだ。引用したヨハネの福音書の話は、ある婚礼に招かれたイエスのエピソードで、「新しい家族が誕生する場に、どうぞ祝福してください、と神が招かれていらっしゃるのなら、命が奪われ、家族を失われた場所にも、どうして神がいらっしゃらないわけがあるだろうか」と、牧師は話した。
それから、聖餐があるのだが、今までクリスチャンではない私は、パンが神の肉体の一部だ、と言われても、もうひとつピンとこなかった。だが、今日の話を聞いた後、カナの爆撃でバラバラに吹き飛ばされた子供たちの上に「神」がいらっしゃたことを感じることができ、このパンのひときれは、遠いカナで死んでいった子供たちの肉体でもあるのだ、と思われた。
(略)広島に戻ればすでに「原爆祭り」(6日は群集でごったがえすので、本当に静かに慰霊に行きたい遺族たちは、5日の夜にすませる人が多いという。やはり、そういう慰霊祭のあり方ってどうかと思う。「原爆」を「ネタ」に様々なアピールをしたい人たち、それも政治的なかけひきや人気取りに利用したい人たちの思惑で巨大イベント化している様は、「慰霊」というより、もはや「お祭り騒ぎ」)の喧騒は終わって静かなものだった。


●9月1日、谷本仰の演奏と山本泰子(栗九里子)の絵画によるライブDialogues

06/09/03

さて、Dialogues#12。思えばアリノネの音楽を谷本さんにお願いすることになったのも、#6で私を呼んでいただいたことから始まる。Dialogues#6でやった「死者の書(てがみ)」を、「そのうちふくらませてテント芝居にでもできたらいいね」という話をしていたところに、「新しい天使」の話が来て、脚本は違えど、底を流れているテーマは同じだ、と直感した。音楽は谷本さんしかないと思った。個人的なことを書けば、谷本さんとのDialoguesがなければ、亮太郎から「新しい天使」をやりたいと持ちかけられたとき、よし、やろう、という気持ちになれたかどうかも実は怪しいと思っている。まあ、それはたらればの話で、亮太郎に頼まれればやっぱりやったのではないかと思うが、「新しい天使」はまた違う流れで動いていたことは間違いない。

そして本番を1ヵ月後に控えたこの時期に、クリコでDialogues。アビエルト公演のとき、舞台背後の壁に描いたクリコの絵は、間違いなく、「アリノネの」「新しい天使」のひとつの象徴だった。谷本さんの生み出した劇中音楽の数々も、きっとあの場所だからこそ生まれたものだった。この日のDialoguesは、一人のバイオリニストと絵描きが共演する、というだけでなく、「新しい天使」が、広島公演で一旦終わって新たに小倉公演があるのでもなく、私たちの中で、「新しい天使」はあれから連綿と続いているのだと改めて確認させられるものであり、もうひとつの「新しい天使」がそこにあった。