■広島→北九州への潮流 1「谷本仰と新しい天使」 →2「大槻オサムと新しい天使」
きみたちはたずねるだろう なぜ私の詩は 夢について、木の葉について 故国の威容誇る火の山々について 何も言ってくれないのかと 通りを染める血を見に来るがよい 見に来るがよい 通りを染める血を 通りを 染める血を見にくるがよい パブロ・ネルーダ「そのわけを話そう」より ぼくが今回の作品の音楽担当を引き受けることになったのは、この芝居において中心的な役柄のひとつを演じる大槻オサムとの出会いからだ。2004年初頭、広島市の爆心地近くのライブハウスで演奏した折、共演した尺八奏者の引き合わせで大槻と会った。彼とは響き合うものを感じ、昨年9月、ぼくの企画「Dialogues」(表現で対話するDuoシリーズ)に出てもらうことに。それは彼の脚本にぼくが音楽をつけるという演劇的作品『死者のテガミ』となった。この準備の間に多くの様々な言葉を交わした。8月6日広島「爆心地ライブ」で“みた”もののこと、「石」についてのあれやこれや、朝鮮人労働者たちが人知れず葬られた筑豊の日向墓地のこと、ぼくが若松の小田山墓地での追悼演奏で「死者たちに起きて語ってほしい」と願いながら弾いてきたこと、「歌」という字の示すもののことなど。それらが材料になって公演『死者のテガミ』ができた。 そしてそれが、この「新しい天使」へとつながった。『新しい天使』の脚本を手にし、読み進むに連れ、まるで自分のこれまでの歩みの中で出会ってきたさまざまなモノゴトに再会するような不思議な驚きがあった。 21歳の時に出会った「釜ヶ崎」。何万という日雇い労働者が生活の拠点にしている日本で最大のドヤ(簡易宿泊所・「ヤド」の符丁)街。そして年間数百名の路上死・行路病死者を出す街。 新今宮の駅を降りて道を渡り、釜に入る。すえた臭い。行き交う労働者たち。道の両側の屋台。日雇い労働者のなけなしの懐から金をむしり取るヤクザの路上バクチ。街の角々を見張る監視カメラ。乱闘服の機動隊。眼光鋭い私服刑事たち。100円お好み焼き屋台、ホルモン焼き。「ションベンガード」。「市厚相」、「センター」。西成警察署。「ふるさと」「希望の家」、キリスト教協友会(通称「釜キリ」)。街頭テレビのある、三角公園。日雇い労働組合、「釜共」、「人民パトロール」、越冬闘争、バス勝利号、対市行政交渉。センター情宣。尋ね人の張り紙、朝5時にあかりがともる赤提灯…。 日本が決して「平和」でも「豊か」でもないことを知った。無数の名も無い労働者たちの使い捨ての上に成り立った経済であることを知った。彼らが正当に人間らしく扱われることを求めて闘う姿も見た。そしてそれを封殺するために振るわれる暴力を身と心の痛みをもって、知った。 ぼくにとってそれは世界が全く様相を変える出来事だった。 同時にそれは、ぼく自身を全く変える出来事だった。 世界とキミとは一対一だ 戦前、戦中は軍隊によって、戦後は経済によってアジアを踏みにじってきた日本の姿について知ったのもそのころだ。韓国の現代史について学んだのも、光州事件、民主化闘争について、そして世界の至るところで続いている抑圧や虐殺について知り始めたのも。そうした人々の経験を通じて世界を見、聴くことが始まった。 ずうっと遠くで、小さく揺れているニンゲンの、その瞳孔を使って、見るのさ ぼくの手には、6歳から弾いている、ヴァイオリンがあった。クラシック音楽を学ぶアメリカ留学から戻った直後のことだった。しかし、人が無残にも殺され、死んでいく世界の中で、もし「音楽」という行為をすることに意味があるとすれば、一体それは何だ。それを考え始めた。 音楽で、何ができるのか。 音楽に、何ができるのか。 音楽って、何だ。 |
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そのころに大学にやってきたテント芝居に出会った。「驪団」が最初だった。そして「風の旅団」。見慣れた風景の中に忽然と立ち現れるテント。異形の役者たち。叫ぶような台詞まわし。天皇制批判、アジア、日本の最下層社会…。世界の闇を切開し、その傷に手をつっこんで血だらけの臓物をつかみ出し、観客になげつけるような物語。世界をひっくり返して見せて大笑いし、地下に蠢く無告の民たちと手をつなぎ、肩を組んで放たれる歌と音楽。埃とアブラと酒の、汗の、芝居の、テントのニオイ。見世物小屋のような異空間。闇を照らし、空を焼く炎、押し寄せる水。 この世界の叫びとつながることで見えてくる風景、聞こえてくる響きを、ラジオのように、霊媒のように、口寄せのように「取り次ぐ」テント芝居。このまま劇団について行ったらどうなるだろう、と思った。 思えば、あのとき既に旅が始まっていた。 世界に、この社会に、ぼくのすぐ近くで、遠くで、ココで、世界で、挙げられている叫びや祈りや、希望のための闘いとしての「歌」。それがぼくを旅に誘い、押し出し続けてきた。 歌は、外から入ってきてぼくを震わせ、共鳴させ、鳴らす。ぼくの中の歌にも響き、うなりをあげる。そこに新しい音、新しいうたが生まれる。それに導かれる、旅。 拾ったのか、拾われたのか。―わたしの口、わたしのカラダ。 …どうして、こう、言うことを聞かないのだろう。… ―わたしのカラダに、外側から何かが貼りついて、わたしを無理に躍らせる。 …わたしの内側に、何かが入りこんで、わたしの口を無理にひらかせる。…ああ… 「釜ヶ崎」から21年。そして北九州に移り住んで17年。いつしか、死んでいったホームレスのための葬儀や追悼の場での演奏を繰り返すようになった。病院の霊安室で、葬儀屋で、火葬場で、追悼式で。悔しく悲しい思いで、ヴァイオリンを弾く。それがぼくの音楽の、いつしか、中核をなすようになった。 『新しい天使』に描かれるのは、合わせ鏡のようにつながっている世界の虐殺の現場。舗装された道の敷石を剥がせば露出する血の記憶。軍隊という口にするのもおぞましいムシたち。殺された者たちの記憶が手渡されていくことの中にある「希望」。奪われた踊り、死、生。他者の経験、物語、視点を通じて今を、歴史を知るということ。負った傷を舐めつつ、記憶を手渡す旅に出ること。 脚本にある、こうしたひとつひとつのコトガラが、ひとつひとつ、腑に落ちるのだった。 ぼくにとってこの上なく透明度の高い、脚本。不思議な感覚。 人の縁もある。 04年、北九州の劇団「うずめ劇場」公演(『夜壺』)の劇伴を、劇中音楽作曲・音楽監督の坂本弘道(チェロ奏者)のもとで担当した。北九州、エジプト・カイロ、東京の旅。そのことがなければ、今回ぼくはこの芝居にこのようにして関わることはできなかっただろうと思う。 そして、その時に出会った役者兼トロンボーン吹きの伊牟田耕児と共に、この『新しい天使』脚本を書いた池内文平氏自身も、実にかつてあの「風の旅団」の一員であり、“あのとき”ぼくの前に姿を現していたのだった。 今回の劇伴(生演奏)の相方は、大槻が引き合わせたトロンボーンの堀江龍太郎。ヴァイオリンとトロンボーンという本来なら珍しいこの組み合わせも、『夜壺』で経験済み。これもまた不思議なツナガリ。 アリノネがお世話になっている、この『新しい天使』を初演した会場:アビエルトの主でもある中山さんはぼくと15年前くらいに北九州で会っている、という。ぼくはちっとも記憶がない。ホームレス問題の学習会か何かでお会いしたらしい。これもまた、不思議。 すべてのコトガラが、「此処」で再会を喜ぶ、そんな「邂逅」の瞬間。初めてなのに、不思議な既視感。 かといってそれは曖昧なデジャヴュのような感覚ではない。はっきりとツナガリを辿ることのできる体験。 おまえの旅は、あながち間違っていない。 おまえの道は、あながち見当違いではない。 それが証拠に、ほら、みんなとこうしてまた、会えたじゃないか。 そんな風に、誰かに言ってもらったような、気がした。 |
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「新しい天使」の第二章の終わり− ねえ、キミたち。キミたちは、ぼくが地べたに横になっていると、 そんなところで寝るな。このナマケモノめっていうだろ?…けど、あれはちがうんだよ。 地面がぼくにはりついて、はがれないんだよ。 地球がね、ぼくにしがみついているんだよ。 …だからね、ぼくはこの地球をはがして、捨てて、 もうひとつの、別の地球をつくろうと思っているんだ。 ―ここと、何もかも同じだけど、ただひとつ、ぼくのねむれる場所のある地球をさ。 ―夢?夢かなあ。―でも、夢でもかまわないだろ?それを見つづければいいんだから ボスニアの内戦の後を、それでも淡々と生きる人々の姿が淡い色調でフラッシュバックのように映し出される。 その中を“踊りをうばわれた”男「ヒカリ」が痛みを背負い、沈黙のうちに歩み去っていく。 ぼくはメロディーを円環のように繰り返し、積み重ね、やがて轟音を成した。 弾きながら、ぼくは強く感じていた。 そうだ、この演奏をするために、ぼくは、旅をしてきたんだ。 何度も叫びながら涙しながら、そうやって歌いながら・・・。 クズ屋といっても、ただのチリ、アクタを集めているわけじゃあない。 この都会ってやつはね、一夜あければすべてがゴミになるんだ。 ところがそのゴミにはきのうまでの時間が宿っているんだよ。 わたしは、それを拾って歩いているんだ…なんのため?リサイクルかな。 捨てられた時間にだって、生き延びる権利があるだろうと思ってさ。 そう言ってリヤカーを引きながら、「記憶」を拾い集めてきた男「ジャクラ」。 ラストシーン、彼はそれを“元あった場所に返す”ために歩み去っていく。それは光州でこの芝居を最初にやった池内氏たち自身の姿とも重なる。捨てられた記憶を拾い集め、死んでいった者たちの臭いを身にまとい、その記憶を様々な人々に手渡し、そして光州で公演をしたのだから。そして、その旅に連なろうとした広島の若い芝居集団「アリノネ」自身の姿にもその姿は重なる。そして、呼び寄せられてその場に居合わせ、様々なモノやコトと再会を果たしたぼく自身にも。 バカ。キズをキズのままで残しておけって言ったんだよ。 そう。今夜でなくてならないものなど、何もない。 けれど、誰にでも平等に明日がやってくるわけでは、決してない。 どこかではなく、此処。 いつかではなく、いま。 誰かではなく、私たち。 そう、このいま、この一瞬にしかないものが、きっと、ある…。 そして、この旅はまだ、終わらない。 2006年3月 「新しい天使」北九州制作団 団長:谷本仰 青色は脚本『新しい天使』より引用 |